世界には、勤労意欲と生産性の高さで注目を集める国があります。このような国で働く人々は、その高度な要求に応えなければならないというプレッシャーにどう向き合っているのでしょうか。
新しいブログ シリーズ「The Working World」では、現代の仕事環境の課題に対するアプローチが国によってどれだけ違うのか、また、このような問題に各国がどのように対処しているかを紹介しています。
シリーズのパート 1 では、日本の「働き方改革関連法」がオフィスで働く人々にどう影響するかを考察し、続くパート 2 では「オフラインになる権利」を法制化したフランスのエル・コムリ法がもたらす影響を見てきました。今回のパート 3 では、ドイツの仕事環境について考えてみたいと思います。
コンサルティング会社の Gallup が 2015 年に実施した調査によると、ドイツ人の 24 % は仕事が原因で「疲れている」または「疲れ切っている」と感じています。このようにストレスが高まっている原因は一体何なのでしょうか。
めまぐるしさが増すばかりの仕事環境のせいでしょうか。もしくは、グローバル化による経済環境の変化でしょうか。それとも、完成度と生産性の「両立」を求める国民性のためでしょうか。
ドイツの実情を知るためDropbox の DACH(ドイツ、オーストリア、スイス)地域担当 PR マネージャーを務めるジェニー・ヴィートヘルター、そして DACH および北欧地域担当カスタマー サクセス責任者を務めるリーナス・ヘイファーケンパーにインタビューを行いました。2 人とも、普段は Dropbox のハンブルグ オフィスで働いています。
目次
1. 完璧主義の代償
この 10 年、企業のサクセス ストーリーといえば、シリコン バレー流の「すばやく動き、破壊せよ」の精神が幅をきかせていました。しかしジェニーとリーナスはそのような考え方とは正反対の教えを受けてきたと話します。
1. 完璧なものでなければ、人前に出してはいけない。
それが、一般的なドイツ人の考え方ー Dropbox ジェニー
ドイツの自動車産業は、常に改善を図るべきという批判的思考で支えられており、「失敗してもいい、いろんなことに挑戦すべき」というスタートアップ企業的な考え方は、あまり馴染みがないようです。ドイツ国内では、このような考え方を取り入れ、もっと失敗に寛容になるべきという意見もありますが、まだ定着はしていないといいます。
ドイツの自動車産業は工学的な精密さで知られていますが、その高い精度を可能にしているのが、時間をかけて細部までこだわる綿密なアプローチです。洗練を重ねてすべてを完璧な状態にした上で、ようやく完成となります。ドイツ車は、アウトバーンを時速 250 km でやすやすと走ることができますが、そのためにはまずすべてを完璧な状態に整える必要があるのです。
しかし完璧主義を徹底すれば、その代償もあるはずです。
テクノロジーとイノベーションを盛り込んだ自動車をいち早く市場に投入したのはカリフォルニア州パロアルトに本社を置くテスラです。
ドイツの自動車産業はずいぶん長い間状況を見守っていましたが、ここにきてようやく、少しずつ新しい技術を投入し始めています。これらの技術は、テスラの失敗から教訓を得ている分、初代テスラよりもよくできていますが、十分な品質が確保されるまで、ドイツのメーカーが電気自動車を売り出すことはないでしょう。
データを重視する米国のテクノロジー企業の姿勢の中に、細部にこだわるドイツの自動車産業に通じるものを見いだす一方、トライ アンド エラーに対する価値観が両国でまったく違うのは一体なぜなのかと興味深いところです。
完璧なものを生み出す両者の徹底した職人気質で違うところは何なのでしょうか。
ドイツ人が、たとえば次代の Dropbox のような画期的な技術を作り出せていないのは、8 割程度の完成度で製品を世に出し、後は開発とリリースの反復で質を高めていく、ということを決してしないからです
ー Dropbox リーナス
2. これからのドイツが向かう先
完璧主義には、イノベーションを阻害する可能性があるという点以外にも、いくつかのデメリットがあります。研究者らによれば、完璧主義者をさらなる改善へと駆り立てる「内なる批評家」の存在は、憂鬱や不安、ストレスを誘発する原因にもなりかねないそうです。
ドイツの文化には、間違いなく、完璧主義と生産性を巡る緊張関係が存在します。では、完成度を追求すべきか、それとも量や速さを追求すべきか、どちらのプレッシャーの方がより大きいのでしょうか。
リーナスは、その人がどのように成長してきたかや、若い頃の経験によって仕事に対する価値観がどう形成されてきたかがカギを握ると考えています。
プレッシャーは、たとえそれが自分の中から生まれてくるものだとしても燃え尽き症候群につながる可能性があります。
そしてその重圧を感じているのは、リーナスだけではありません。2016 年には、燃え尽き症候群がドイツで大きな社会問題となっています。それはウォール・ストリート・ジャーナル紙が「流行病」と評し、問題解決に向けた企業各社の取り組みを紹介するほどのものでした。
この流行病は、細部にまで高い完成度を求めるがゆえの長時間労働が原因なのでしょうか。それとも、いつでも仕事の連絡に対応できるようにしておかなければならないというプレッシャーが原因なのでしょうか。
これについてジェニーは、「この数十年の間に、私たちの生産性は、デジタル化とテクノロジーの高度化によって大幅に向上しました。これは確かなことです」と話します。しかしながら、仕事の時間を節約できたにもかかわらず、趣味に費やせる時間や家族と過ごす時間は決して増えていません。私たちは、余ったエネルギーのすべてを、これまで以上に働くことに費やしているのです。その行き着く先は一体どこなのでしょう。
また多くの人は、仕事上の悩みを私生活に持ち込まないようにすることに苦労しています。
燃え尽き症候群になってしまう人は、まず間違いなく、職場での出来事を家庭に持ち込む傾向があるといいます。仕事とプライベートの切り替えがうまくできないと家にいるときや家族と外出しているときでも、上司に 2 日間で仕上げるように言われたブログ記事のことや、来週進行役を務める予定の会議のことが頭に浮かんでしまいます。
ジェニーが社会人になったばかりの頃は、スマートフォンはなかったといいます。帰宅後は仕事から解放されましたし、週末もそうでした。もし何か問題が起きていても、誰かが電話で連絡してこない限り、知りようがありませんでした。しかし今は、日曜日でも気が休まらないといいます。「何か問題が起きているとまずいからメールをチェックしておこう」などと考え、メールを見た途端、もう仕事モードになってしまいます。
今日では、コミュニケーションのスピードが上がった一方で、その弊害も生まれているのかもしれません。メッセージング アプリのおかげで、気軽にコミュニケーションを図りながら、人々と親密な関係を築けるようになったのはすばらしいことですが、行き過ぎと思われることもあります。そんなとき、コミュニケーションのやり方に境界線を引くことが、リーナスにはとても有効だといいます。つまり、電話以外のアプリの通知をすべてオフにしたのです。急ぎの用事がある人には電話をかけてきてもらう必要がありますが、このおかげでメールチェックは 1 日 2 回で済むようになったといいます。
勤務時間後や休日でも仕事から離れられずに困っている社員を支援しようと、一部の企業では、新しいルールや制度を導入しています。
たとえばダイムラーは、2014 年に「Mail on Holiday」という規則を作り、休暇中に届いたメールをすべて自動的に消去するよう社員自身が設定できるようにしました。この間に届いたメールに対しては、システムが自動的に応答し、メールは削除される旨を差出人に伝えます。差出人は、そのメールを別の社員に転送するか、あるいは休暇終了後にもう一度送信するかを選ぶことができます。
ジェニーによると、ドイツにはストレスへの対処を専門的に扱うコーチやセラピストがたくさんおり、ワークショップも開催されているそうです。ドイツの比較的大きな会社は、燃え尽き症候群の社員を診察できる精神科医を置いています。また健康問題や燃え尽き症候群の予防を専門とする部署を設置している会社もあります。
3. ドイツ人にとってプライバシーが重要である理由
ドイツでは、「すばやく動き、破壊する」アプローチよりも「計画的で綿密な」アプローチが優先されているもう 1 つの分野が、データ プライバシーです。
一般データ保護規則(GDPR)の施行が象徴しているように、多くのヨーロッパ人はプライバシーを第 1 に考えています。その中でもドイツ人は、プライバシーについて特に慎重です。
調査会社の Forrester によると、ドイツの消費者の 68 % は、企業各社が個人情報を売買していることを認識しています。また 58 % は、企業のプライバシー ポリシーに納得できない場合、その企業の商品を買うのをやめる可能性があるとしており、その数字は英国、フランス、イタリア、スペインよりも高くなっています。
また先ごろ、ドイツの規制当局は、Facebook が WhatsApp や Instagram などのサードパーティ サービスで収集したユーザー情報を統合することを制限すると発表しています。
リーナスによれば、多くのドイツ人がセキュリティやプライバシーの保護をこれほど重視するのには、相応の理由があります。
ドイツ人がセキュリティやプライバシーの問題に神経質になるのには、少し前の祖先がドイツ再統一前に経験した歴史が強く影響しているといいます。
親友の父親は、旧東ドイツで牧師をしていました。彼は現役時代、当時の政権に異を唱えていました。数年前、東ドイツの秘密警察シュタージが所有していたファイルが公開されたのですが、その中に、彼に関する膨大な書類と写真をまとめた 2 つのファイルが含まれていました。シュタージは彼の住まいを訪れ、ありとあらゆる情報を探っていたのです。
ー リーナス
この当時、リーナスはまだ若かったのですが、こうした出来事は、彼の身近にいる多くの人々に多大な影響を与えました。
ドイツには、そう遠くない過去にこのような負の歴史があります。ドイツ人がセキュリティ面で保守的すぎるかどうかはさておき、パブリック クラウドへの移行に積極的になれない理由の一端は理解できるところです。
これは、近所の人がスパイで、自分の個人情報を当局に密告しているかもしれないと疑わざるを得なかった時代の話です。この当時は、現代のように自由に話ができる状況ではありませんでした。ナチスの時代にさかのぼれば、遺伝子や医療の面で問題があると見なされた人々、政治的立場の異なる人々、障がいを持った人々がそれを理由に差別を受けていました。この時代を生きた人々にとって、個人情報を提供するというのはそれだけで恐ろしいことなのです。この世代の人たちは、その記憶を警鐘として子どもや孫たちに受け継いでいるといいます。
ドイツでは完璧を期す国民性がイノベーションを阻害している可能性があります。同様に、データ プライバシーに対する厳格な規制がビジネスのあり方に影響を及ぼしている可能性もあります。果たして、この慎重なアプローチがもたらすメリットは、進歩を妨げるという潜在的なデメリットを上回るものなのでしょうか。
私たちドイツ人は、もっと勇気を持って行動し、失敗を受け入れるべきなのでしょう。しかし今後数年のうちに、ドイツ以外の国がプライバシー重視の方向に舵を切るということも、ひょっとしたらあるかもしれません。祖母がよく言っていました。『死者の数を数えるのはすべてが終わってからにしなさい』と。賢明な考え方だと思います。企業がドイツで事業を展開しようと思うなら、ドイツのルールに従う必要があります。この国でビジネスを行うためには、プライバシーを重視することが不可欠なのです。
ー リーナス
4. 次の時代へ向けて
この 10 年、破壊的なイノベーションが時代に大きな影響を与えたことは間違いありません。しかしここへ来て、潮目が変わる兆候も見え始めています。
もし 1 つの時代が終わりを迎えようとしているのであれば、テクノロジー業界と労働環境が次に向かうべき方向として、ドイツ流のやり方は大いに参考になるかもしれません。