世界の働き方: エストニアのデジタル社会がスタートアップと起業家にとって最適な環境である理由

米国では、車両管理局、郵便局、国税庁などの政府機関は、テクノロジーによる効率化から最も縁遠い場所と考えられています。ところがエストニアでは、状況がまったく異なります。

1991 年にソビエト連邦から独立を果たして以来、エストニアは急激な変革を進めてきました。バルト海に面したこの小国は、電子国家「e-Estonia」と呼ばれるプロジェクトを通じて、官僚主義を徹底的に打破し、デジタル社会を作り上げてきました。

2000 年、エストニアは国として世界で初めてインターネット接続は基本的人権であると宣言し、さらに初めてブロックチェーンを利用したモバイル ID を市民に付与しました。

その結果、面倒で時間のかかる手続きをオンラインで済ませることができるようになりました。たとえば、投票、納税、医療記録へのアクセス、ローンの申請、法人登記に至るまで、すべてがオンラインで手早く済ませることができます。

エストニア大統領のケルスティ・カリユライド氏は Quartz に寄稿した記事の中で、「政府機関は、Amazon のような効率的なビジネスを手本として、効率よく公共サービスを提供しなければならない」と語っています。

エストニアは、「政府機関も効率よく機能できる」ということを実際に証明しています。政府と国民の間で新たな社会契約を結び、エストニアはデジタル民主主義国家の広告塔として賞賛されています。また、公共部門での変化は民間企業にも波及しています。スタートアップへの投資が急増し、ボーダーレスに働く人々のための新しいビザが創設され、さらに EU に拠点を置く企業をオンラインで創設して経営したい人のために e-Residency(電子市民制度)が導入されました。

こうした動きは、起業家への刺激やナレッジワーカーの解放にどうつながっているのでしょうか。他国でも、デジタル社会が発展するきっかけとなるでしょうか。

目次

  1. 国境に縛られないデジタル ノマドの楽園
  2. Skype の登場とリモート ワーカーの増加
  3. スムーズが当たり前
  4. 他国はエストニアの事例に追随できるのか
  5. スマート ワークスペースとリモート共同作業の未来

1. 国境に縛られないデジタル ノマドの楽園

カロリ・ヒンドリクス氏は、企業と世界中のナレッジワーカーを結び付ける移民と移住のプラットフォームを提供する Jobbatical の創設者であり CEO です。彼女は 20 年にわたり、エストニアのスタートアップ文化の発展に貢献してきました。彼女が学校の課題として、衣服のように身につけられる柔らかい反射素材を発明したのは 16 歳の時で、これが初めて開発した製品でした。

ブレインストーミングをして、あるアイデアにたどり着きました。これが、とてもユニークなものだったんです。その結果、私はエストニアで最年少の発明家になりました。東欧の小さな町に住む 16 歳の少女でも変化を起こせるのだ、ということを実感した瞬間です。いわば、私は変化をもたらすことに取り憑かれたのです。それからずっと、私は起業家としての道を歩んできました。

– ヒンドリクス氏

ヒンドリクス氏が 16 歳の時、エストニアは独立を回復しました。彼女は当時の首相から刺激を受けたと言います。

就任した時、この国がとても貧しかったので、首相は煩雑な手続きを最小限に抑えて国を作る必要に迫られていました。すべてがシンプルであれば、人は必要なことに集中できるようになります。

それから 20 年経った今、ヒンドリクス氏はエストニアが最も快適に起業できる国になったと考えています。「Jobbatical はカフェで作りました。オムレツを食べたりカプチーノを飲んだりしながら、オンラインで運営を始めたのです」と彼女は言います。

設立にかかった時間は 10 分でした。韓国の空港ラウンジにいる時に税務申告を済ませることもできます。所要時間は 2 分です。エストニア国民は、いろいろな手続きが本当にスムーズです。

あまりにスムーズなので、10 分以上かかる手続きがあればエストニア人はいらだつと思います。何でもスムーズに動くのが当然です。あらゆる国や地域で、移民などの手続きは Amazon や Dropbox のようにスムーズであるべきだと思いませんか?

Jobbatical のアイデアは、ヒンドリクス氏がナショナル ジオグラフィック チャンネルFOX エンターテインメント チャンネルの立ち上げを主導した後の、キャリアの転換期に生まれました。

シリコンバレーのシンギュラリティ ユニバーシティで学んでいた当時、どうしてここには優れた企業が多く生まれるのだろう、と考えるようになりました。その違いはどこにあるのか、シリコンバレーの人々が優秀だからなのだろうか、などと考えたのですが、ここに「いる」人たちが優秀なのではなく、ここに「来る」人たちが優秀なんだと気づき始めました。

ヒンドリクス氏はそこで、優秀な人材にエストニアのような場所を知ってもらい、シリコンバレーではなくタリンに行きたいと思ってもらうにはどうすればよいだろうかと考えました。

私の卒論は、そのことをテーマにしたのです。優秀で国境に縛られない人々を集め、世界のはるか彼方の都市にある企業とマッチングさせる必要があると考えたと彼女は振り返ります。

その過程で、人材の移住や移民の手続きにも対処する必要がありました。まさにスタートアップのストーリーにふさわしく、付随的に始めたサービスがプロダクト マーケット フィットになったのです。私たちは今、移民と移住のプラットフォームとして、スムーズな移民が実現するように支援しています。

2. Skype の登場とリモート ワーカーの増加

ステン・タムキヴィ氏は、社員がどこからでも働けるようにするモビリティ管理プラットフォームを世界的に提供する Topia で最高プロダクト責任者を務めています。彼は Teleport の創設者であり、以前は Skype Estonia の本部長も務め、テクノロジー業界の隆盛を目にしてきました。他国にはないエストニアの優位性は、スピード感のある変化の導入だと同氏は話します。

エストニア、シンガポール、ロンドン、そしてシリコンバレーにも住みました。実際にはパロアルトに住みながら、エストニアの生活に必要な納税、銀行取引、契約への署名など、すべての手続きが可能でした。しかも、米国内で米国の手続きをするよりも、はるかに簡単だったのです。米国の場合は、窓口に出向かなければいけなかったり、署名をファックスで送る必要があったりします。

– ステン氏

「作業」と「居場所」を切り離せる技術的なインフラストラクチャがあれば、「機動的で場所に縛られないチーム運営を行う絶好の環境が生まれる」とタムキヴィ氏は言います。

人口 120 万人の国からグローバル企業を作ろうとするなら、同じ場所に全員が揃うというのは最初から無理な話です。

無料で音声通話やビデオ通話ができる Skype などのツールが生まれたことが、リモート チームワークの文化を後押ししたことは間違いなく、しかも Skype の初期チームには、共同作業について深い信念があったと思います。それは、相手がどこにいるかはまったく関係ないという考えです。

– タムキヴィ氏

エストニアでは、リモート ワークは単なる特権ではなく、社員にとって必要不可欠な制度です。

小さな国ですから、創業 1 日目から企業はインターナショナルに活動します。そうでなければ、生き残ることはできません。ドイツで起業した場合は、最初から大きなマーケットを相手にすることができますが、エストニアのマーケットは小さいので、最初から外の知識が必要になるのです。エストニアは、移住先として必ずしも一番人気の国ではありません。そのため、企業はより柔軟な対応が迫られます。競争力を高めるために、エストニアの企業は新しい働き方にすぐ対応する必要があります。

– ヒンドリクス氏

3. スムーズが当たり前

エストニアでデジタル署名が法制化されたのは 2001 年のことです。そのため、エストニアの多くの世代は他国と比べて、効率性や機動性を当然視する環境で育ってきています。

どこにいても、何をするにしても、スムーズにできるのが当たり前だと思っています。

私は世界のいろいろな国へ行きますが、自国の政府に対してとても懐疑的な国民もいます。アメリカ人は自由かつオープンで、政府よりも民間企業を信頼し、自分のデータを預ける傾向にあると思います。一方ヨーロッパでは、一般に政府の方をより強く信頼する人が多いと思います。

– タムキヴィ氏

エストニアの場合、国民のデータは自分自身のものであり、企業や政府はデータの一時的な管理者であるという考え方が根底にある、とタムキヴィ氏は言います。

この考え方は、文化によって生まれた自然なものかもしれませんが、外部からの働きかけによって生まれた一面もあると思います。

90 年代中頃、エストニアは「タイガー リープ」というプログラムを導入しました。これは、子どもたちにテクノロジーを利用させるために、すべての学校にブロードバンド接続を導入しようという取り組みです。

すると 2000 年代初頭、民間企業はある現実を突きつけられます。それは、若い世代が皆インターネットを利用しているのに、上の世代の数十万人が取り残されてしまう恐れがあるという事実です。そこで、若年以上の世代に対して大規模なトレーニングを実施することになりました。コンピュータを利用できるようにし、基本的な知識を伝えたのです。

– タムキヴィ氏

4. 他国はエストニアの事例に追随できるのか

エストニア大統領のカリユライド氏は、インフラストラクチャに投資し、学校や公共図書館に無料のインターネット アクセス ポイントを設置するという決定が「エストニア社会の基盤を変えた」と話しています。これによって、新たな優先課題が打ち立てられ、それが公共部門と民間企業の両方に良い効果を波及させることになりました。

しかしこの変革は、ソ連からの独立を果たし国家を再興するという、エストニアの歴史にとって決定的な転換点に起こったものです。このような文化的な大転換がなければ、他国が完全なデジタル社会の実現に必要な抜本的改革を行うことは難しいのでしょうか。

グローバルな視点から私が見てきたことは、小さな社会ほど有利だということです。エストニアでは多くの革新的なことが起きていますが、これは人口 120 万人の国だからです。アイスランドの人口は 30 万人です。シンガポール、オランダ、フィンランド、スウェーデンも人口の少ない国です。技術系スタートアップにとって、こうした社会や国には共通する魅力があります。小さければ小さいほど、機敏に動けるということです。ビジョンを持った少人数のグループは、大きな変化を生み出せるのです。

– タムキヴィ氏

タムキヴィ氏はウィリアム・ギブスンを引用してこう言います。

『未来はすでにここにある。ただ、均等に行き渡っていないだけだ』という言葉があります。エストニアでは、これまでになかったものを目にすることができますが、こうした傾向はエストニアや北欧に固有のものではないと思います。こうした傾向は世界各地にあり、それぞれ異なるペースで進んでいます。エストニアのような変化を次に目にすることがあるとすれば、それはおそらく小さな社会でしょう。

エストニアは今でも、スタートアップ企業のようです。フェイル ファスト、つまり失敗するなら早い方が良いという考えが浸透しています。効果を測定してうまくいかないのであれば取りやめよう、という考え方です。ある意味では、IBM とスタートアップの比較に似ているかもしれません。どの国にも、変化を非常に難しくするレガシーというものがたくさんあります。また、国というものの再定義が必要になるとも考えています。どの国もこうした変化を受け入れられると良いのですが、そのためには多くのレガシーを壊さなければなりません。

e-Estonia に対しても、反発は起きています。私は楽観的ですので、変化が順調に進んでいるからこそ、その反動が起きているのだと考えるようにしています。反動があるのは、変化が速いということです。問題は、私たちがこれから変化をどのように受け入れるのかということでしょう。

– ヒンドリクス氏

5. スマート ワークスペースとリモート共同作業の未来

Dropbox は先日、未来のスマート ワークスペースを作成するための第一歩として Dropbox Spaces(スペース)を発表しました。これを機に私たちは、リモートで共同作業を進める人々にとって、スマート ワークスペースがどのようなものなのかを調査することになりました。

興味津々です。Topia では、170 人の社員がさまざまな場所で働いているからです。私のチームは、大半がエストニアのタリンとワシントン州ベルビューにいますが、経営幹部のほとんどはサンフランシスコにいます。オフィスはロンドン、ダブリン、ニューヨークにあり、さらにリモートで働く社員もいます。

– タムキヴィ氏

こうした構成の組織で成功するために、タムキヴィ氏はオープン ソース ムーブメントで生まれた、「自由に書き、頻繁に話し合い、そして時折集まる」という考え方を採り入れています。

頻繁な話し合いとしては、ビデオ会議や 1 対 1 の話し合い、チームのグループ ミーティングを行い、時折の集まりとしては四半期に一度のオフィサイトなどがあります。

そして、自由に書くという点です。仕事時間の多くが、書くことに費やされています。Slack のチャンネル、Google ドキュメント、JIRA のチケットや Confluence、その他あらゆる場所で、1 日中何かを書いているでしょう。こうした空間は、とても分断された状態にあります。未来のワークスペースとは、同期的および非同期的な手法をスムーズに切り替えられる、そういったものだと私は思います。

– タムキヴィ氏

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