イラスト:ジャスティン・トラン
朝目覚めたその瞬間から、夜中にスマホを握りしめたままベッドに倒れこむまで、携帯が鳴り止まないという日があります。
実際、2018 年にニールセンが行った調査によると、私たちがメディアに接する時間は 1 日に 11 時間以上だというのです。こうなってくると当然、「自分たちの健康を害してまで携帯電話などのデバイスにしがみつくべきなのか」という疑問がわいてきます。常にオンラインでいると人は燃え尽きてしまうとしたら、どのような解決策があるのでしょうか。
近年、こうした問題に労働者たちが抗議の声を上げるようになり、一部の国ではそれが立法の場にも反映されるようになっています。
2016 年 8 月、フランスはエル・コムリ法を制定しました。これは、労働者がオフラインになる権利(つながらない権利)を法的に認めるものでした。
しかし、この法律だけで職場の改革が十分に行われるでしょうか?
新しいブログ シリーズ「The Working World」では、現代の仕事環境の課題に対するアプローチが国によってどれだけ違うか、そうした問題に各国がどのように対処しようとしているかを紹介します。
前回のパート 1 では、日本の「働き方改革関連法」が、派遣社員から経営幹部までオフィスで働く人々にどう影響するかを考察しました。今回のパート 2 では、フランスの「オフラインになる権利」が与えた影響と、その実効性について考えてみたいと思います。
目次
1. 制定に至った経緯
常にオンラインでいることの悪影響は明らかです。
労働者は常に返事や応答をしようというプレッシャーに気をもむことになり、健康にまつわる問題が増えていきます。
結果として、「どこでも仕事ができる自由」があっても、あまり自由に感じられなくなるのです。仕事とプライベートの境界線が失われてしまったということです。モバイル端末の登場によって、それまでは通用していた言い訳が使えなくなってしまいました。以前は、職場にいればオンライン、自宅に帰ればオフラインだったのです。今は「職場にいない」という理由で、仕事から離れることが難しくなっています。
週末というオアシスも侵されるようになっています。「土日に連絡が付くようにしなければ」と思っていると、急ぎの用事が来ていないかメールをチェックしてみる義務感にあらがうのは難しいでしょう。
今や、1 台の携帯電話を仕事用と個人用に使っている人がほとんどです。どこにいっても仕事が後をついてくるような状況です。利便性のために仕事とプライベートの境界線を破壊してしまったのです。
そのため、昔のようにしっかり休んで回復することができず、金曜日に退社したときよりも疲れた状態で月曜日の出社を迎えることさえあります。
この問題は、世界中の労働者に起こっていることです。
Dropbox でフランス語のランゲージ スペシャリストを務めるエロイーズ・ブンナシスは次のように話します。
フランスでは、2007 年の経済危機を受けて、労働者に対する締め付けが強まり、結果として全体の雇用は減りながら同レベルの生産性を維持するための犠牲として、労働者 1 人あたりの仕事量は増えています。
労働者に対する締め付けの高まりは、深刻な事態を引き起こしていて、中には仕事に関連する自殺も起こっています。
そこで、政府に何らかの対策を求める声が高まりました。2015 年、フランスの労働大臣ミリアム・エル・コムリが「info-obesity(情報摂取による肥満)」が与える健康への影響について調査を行うよう指示しました。
翌年、フランスはエル・コムリ法を可決することとなります。
一般には、「オフラインになる権利」として知られています。この法律は、午後 6 時以降は業務のメールを禁止するということで有名になりました。しかしその実態は、かなり複雑です。
この法律では、「私生活や家族との時間に加えて、休息や休暇を尊重するためにデジタル機器の使用を制限する」ことを定めています。
しかし施行から 1 年が経ち、この法律があいまいすぎて効果を期待できないのではないかという疑問や、長く続いてきた労働慣行を根本から変えることが本当にできるのかという議論が出てきました。
2. 法的なアプローチによって問題は解決するのか
フランスは、伝統的に労働者のワークライフ バランスを法制化しようとしてきた歴史があります。およそ 20 年前、法律によって 1 週間あたりの法定労働時間は週 35 時間に削減され、同時にこの上限を超えた場合には残業時間の支払いを義務付けることになりました。
しかし、だからといってフランス人が週に 35 時間しか働いていないというのは誤解であるとブンナシスは言います。
週に 35 時間という上限は、管理職以外の従業員にしか適用されず、35 時間以上働けないというわけではないのです。単に、その上限を超えた場合には割増賃金が支払われるというだけです。また、上限を超えて働くことについて、雇用主は従業員と合意することが可能です。実際、ランスタッドが行った調査によると、フランスの労働者のうち 71.4 % が週に 35 時間以上働いているという結果が出ています。
35 時間の労働時間を定めた法律があってもほとんどの人が 1 日 7 時間働くだけでは済まないのと同じように、「オフラインになる権利」法が制定されても労働者は夜や週末をプライベートな時間にできていません。加えて、すべての労働者がこのような結果を望んでいるのか、という議論も起きています。
3. 企業の対応
すでに、この法律に違反した場合の影響が明らかになってきています。
2018 年 7 月、イギリスの害虫駆除会社で働くフランス在住の元従業員が、問題発生時に備えた待機時間の賃金として、6 万ユーロの支払いを認められました。
境界線を超えないようにするため、経営陣はすぐに対応が必要な事態とはどのようなものかを明確に示すよう努力し始めています。
いくつかの裁判所が、従業員の休息時間を尊重しなかったとしてその雇用主を「労働法」に違反すると非難しましたが、エル・コムリ法自体には採用しなかった企業に対する罰則が設けられていません。
そのため今のところ、ごく一部の企業しかこのルールを採用しておらず、一部の企業については労働環境が悪化してさえいます。
ル・モンドによると、2010 年にはキヤノンが、2013 年にはソデクソが、「メールのない日」を作る取り組みにチャレンジしましたが、いずれも道半ばで終わっています。罰則付きの法律がなくては、本当の変化は訪れないのではないかと多くの人が考えています。
4. 働く人々の反応
Dropbox France のマーケティング コミュニケーション部門で働くミシャ・スプリンツは次のように話します。
人々はこの法律に守られていると感じていますが、国際的な企業で働く場合とりわけ複数のタイムゾーンの人々と連携する場合は、午後 6 時以降も働かざるを得ないのが現実です。
スプリンツは、この法律の欠点が、仕事とプライベートとの間にはっきりとした境界線を設けることで労働者を守ろうと考えている点にあると言います。
なぜなら今私たちが感じているのは、この 2 つは絡み合っているということです。それぞれの好みに応じて、労働時間中に個人的なことをしたり、労働時間外に仕事をすることを自由に選べるようになるべきです。
ブンナシスもこの点に同感で、この法律が決定的な解決策になっていない理由はここにあると話し、この法案が可決された理由については理解できるとしながらもオフラインになる権利を獲得したところで自身の働き方はまったく変わっていないと言います。
また、この法律が生産性を押し下げていると考えていて、問題を根本的に解決する方法はフランスの企業がその考え方を改めることだと言います。
しかし同時に、そのためには長い時間がかかるとも話しています。
それぞれの個人が、自分に合った働き方を自由に選べるべきなのです。
たとえば、私に子どもがいるなら、仕事を早めに切り上げて子どもを迎えに行って、一緒に過ごす時間を作り、夜遅くに仕事を再開するのが適しているでしょう。午後 6 時以降にメールをチェックできないとしたら、こんなことは不可能です。
私は、従業員の健康や幸福に高い関心を持つ企業で働くことができて幸運で今の会社に、業務時間外に働くよう求めてくる人はいません。
けれども、フランスでは、仕事や働き方について多くの企業がとても古い考え方を持っていて、フランスの企業で働いている私の友人たちは、まったく違う世界に生きているようです。ほとんどの人が、私よりずっと遅くまで働いています。
5. 世界中に広がる波及効果
フランスでこの影響がどのように広がるかは未知数であるものの、「オフラインになる権利」法に多くの国が追随しています。
National Law Review のレポートによると、イタリアの新たな法律では、通常の業務時間外に仕事に対応する従業員について、その職責の範囲を明確にすることを雇用者に義務付けています。フィリピン、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、インド、ケベック、カナダ連邦政府は、フランスの決定に追随し、労働者に同様の権利を認めようと動き始めています。
2018 年、スペインは「データ保護およびデジタル権利法」を可決しました。さらにニューヨーク州でも、「オフラインになる権利」法が審議されています。
こうした関心の高まりを見ていると、よりよい働き方のために政府機関に何らかの規制ができると思いたくなります。ですが、これは私たちのデバイス依存という問題を超えた、もっと複雑な問題なのです。
個人の好みはもとより、政治的、経済的、そして文化的な圧力が絡み合っていて、誰もが満足できるソリューションを見つけることが困難になっています。
1 つの法律で、この問題を解決することはできないでしょう。本当の変革は、企業が「従業員体験」を顧客体験や生産性と同じレベルで重視しなければ、達成できないのではないかと思われます。
こうした企業の価値観が実現して初めて、従業員も会社も今とは違った「仕事との関係」を築き、ただ疲れるだけの仕事ではなく、もっと充実感を味わえる仕事ができるようになるのかもしれません。